パルワールドを開発したポケットペアの社長である溝部拓郎さん。
コインチェック出身のスゴい経歴をお持ちですが、そんな溝部さんはどのような人物なのでしょうか?
そこで、これまでの経歴や高校大学の学歴などまとめていきたいと思います。
もくじ
【画像】溝部拓郎のプロフィール
名前:溝部 拓郎
よみ方:みぞべ たくろう
生年月日:1988年
年齢:36歳(2024年1月時点)
出身高校:福岡高等学校
出身大学:東京工業大学 工学部
職業:株式会社ポケットペア代表取締役社長
売上100万本の国産オープンワールド『クラフトピア』を開発された溝部拓郎さん。
2024年1月19日には『パルワールド』がSteamでランキング4位という偉業を達成し、ポケットペアという社名が一躍有名になりました。
『パルワールド』は発売から3日で販売本数400万本を達成し、ますます伸びています。
売上を計算すると1本約3000円なので、ざっと120億円ということになりますね!
溝部拓郎さんの年齢は2024年1月時点では36歳ですが、実業家として成功を収めた年といっても良いでしょう。
そんな溝部さんとは一体どのような経歴なのでしょうか。
溝部拓郎の経歴
溝部拓郎さんの経歴を簡単にまとめると次のようです。
2010年 任天堂ゲームセミナーにてDS開発
2012年 JPモルガン証券入社
2012年 レジュプレス創業 STORYS.JP リリース
2014年 仮想通貨取引所 Coincheck 創業
2015年 ポケットペア 創業
JPモルガン証券(2012年~2015年)
溝部拓郎さんは大学卒業後の2012年、JPモルガン証券に新卒で入社しました。
J.P.モルガンといえば、ニューヨークに本社を置く超大手金融機関です。
採用倍率は100~1000倍と言われており、溝部さんは見事に選考を勝ち抜かれたようです。
そして、テクノロジー職として会計システムの開発に携わっていたようですが、3年で退職する道を選択されます。
退職理由は主に2つあり、
- 会社の安定運用を重視する技術を採用していたことに物足りなさを感じた
- 本格的な起業を考えていた
と、初めから起業する予定だったようで、同期が先に起業する姿を見て溝部さんも予定を早めて退職されました。
コインチェック(2014年~2015年)
溝部拓郎さんは実はコインチェックの創業者なんです!
コインチェックを開発する和田と溝部拓郎(2014年4月25日)
この時点では、コインチェックもパルワールドも、世に生まれておらず、私を含めて、人生どうなるか全くわからなかったけど、二人とも驚く規模の物を作り出してしまった。
あと、とりあえず、二人はすごい仲良し。 https://t.co/oJ1tPyVQ56 pic.twitter.com/15D4sW5mqK
— Yusuke Otsuka (@yusuke_56) January 20, 2024
「コインチェック」とは?
2014年に設立された日本の大手暗号資産の取引所。
コインチェックのアプリやサイトは、暗号資産初心者でも見やすく、直観的に使いやすいといわれている。
溝部さんはJPモルガンで働き始めた3年目には、なんとコインチェックの仕組みを作り始めていました。
きっかけは同期から構想を持ち掛けられたことのようですが、多忙な仕事の合間に作っていたとは驚きですね。
そして、2014年には共同創業者として紹介されていました。
ちなみに共同創業者の和田さんは大学の先輩にあたります。
和田さんによると、溝部さんの影響でエンジニアになり、会社の創業にも誘われたとのこと。
そのため、溝部さんには頭が上がらない存在だと言われていました。
ポケットペア(2015年~)
溝部拓郎さんは、2015年4月に『株式会社ポケットペア』を設立されました。
お金を稼ぐために一旦はJPモルガンに就職したり、コインチェックの創業に携わったりと模索していた溝部さん。
しかし、自分の将来について考えた結果、「やはりゲームを作りたい」という気持ちが再燃したようです。
そして、驚くのが創業当初の開発メンバーが、
半分は任天堂ゲームセミナーで出会った友だちで、もう半分がたまたま出会った大学の後輩です。
出典:電ファミニコゲーマー
とのことで、溝部さんが大学時代に知り合った任天堂インターンの友人や大学の後輩で構成されていたのでした。
溝部さんの周りには優秀な人材が多く集まっていたようですね。
また、ポケットピアではこれまで次の作品がリリースされています。
- 2019年 オーバーダンジョン
- 2020年 クラフトピア
- 2022年 AIアートインポスター
- 2024年 パルワールド
パルワールドが発売されるまでクラフトピアが累計100万本の売り上げ(2022年1月時点)と歴代1位でした。
その記録をパルワールドが発売から8時間で到達したということで、爆発的な人気作品となりましたね。
溝部拓郎の学歴
溝部拓郎さんは次の学歴をお持ちです。
出身高校:福岡高等学校
出身大学:東京工業大学 工学部
それぞれについて、学生時代のエピソードも合わせてご紹介します。
福岡高等学校(2004年~2007年)
溝部拓郎さんは2004年4月に福岡高等学校へ入学し2007年に卒業されています。
福岡高校といえば偏差値72を誇る県内屈指の進学校です。
エリート街道を進んでいたのかと思いきや、実は高校時代はスーパー自堕落生活を送っていたと明かされていました。
その内容とは、
・弓道部を1年立たずに辞める
溝部拓郎さんは高校時代、反発したい時期だったようです。
また、女性の先輩が苦手ということもあり弓道部を辞めてしまいました。
・狂った生活リズムを送っていた
家ではマンガやゲームに夢中で深夜3時に寝る生活を送っていました。
そのため、授業中にはひたすら寝るか、起きていてもゲームのことを考えていたようです。
・学年順位がみるみる下がっていった
溝部拓郎さんは入学当時、実力テストの結果が400人中20番くらいだったようです。
しかし、宿題をやらなかったり、生活の乱れなどから成績が落ちていき、気づいた頃には学年で200番ぐらいまで下がってしまったようです。
・高校3年の受験時期になってもゲーム三昧
ゲームに夢中になっていた溝部さんは受験シーズンになってもゲーム中心の生活がやめられませんでした。
ただ、大学には受かる自信があったようですが、現実は甘くなく受験には落ちてしまいました。
こういった生活から溝部さんは大学に進学できず、浪人してしまいました。
といっても、気分転換に春休みはゲームをしまくったようです(笑)
学生時代のエピソードについて参考資料
https://storys.jp/story/4959
東京工業大学(2008年~2012年)
溝部拓郎さんは2008年4月に東京工業大学へ入学し2012年に卒業されています。
東京工業大学といえば偏差値65といわれており、日本の理工系大学の中ではトップクラスの大学となっています。
溝部さんは1年間の浪人生活ではゲームをしつつも1日10時間以上の猛勉強をして見事大学に合格。
そして、工学部を選択されました。
ただ、訳あって途中から経済学の道へ路線変更したようです。
友達がおそろしく優秀な奴らばかりで、途中で「彼らと競争しても勝てない」と気づいて、経済学専攻に移りました。
出典:電ファミニコゲーマー
大学時代のエピソードはあまり紹介されていませんが、溝部さんのFacebookには学生時代の写真が多数投稿されていました。
東京工業大学には国際交流プログラムがあり、大学4回生の頃は留学されていたと思われます。
ちなみに、留学には語学条件としてTOEIC 650点相当以上が必要とされています。
TOEIC 650点といえば「中の上」レベルと言われており、就職活動では「英語が出来る人材」の基準ともなります。
そのため、溝部さんは語学もある程度優秀だったことがわかりますね。